えー、今日は月刊アフタヌーンの『神戸在住』を読んでちょっと悲しい気持ちになってしまったので、日記はかけません(;Д;)

 ・・・嘘です(^^;)ちゃんと書きます。
 
 でも、正直ちょっと重い話かと思うので、そういうのが嫌いな人ダメな人は読まんといて下さい。
 今日の日記は、自分の心と親友のために書いたから。

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 今月の『神戸在住』、自分の大切な人を失った経験をした事がある人間には、この内容はきつかっただろうなあ。
 まー、オレの場合は恋人じゃなくて幼児の頃からの付き合いのあった親友だけど。
 大阪に住んでたことの友人はちょっと事情を知ってる人もいるかな。エルガイムのプラモデルを買ったときの話ですよ>大阪友人

 でもまあこの本を読んで、今日は、あの日にオレが受けた消失感と、そこから逃げていた心と正直に向き合えたような気がする。
 それは、乗り越えるのではなく、自分の一部にする。改めて、経験が心を大人にするのだな、と思った。

 実家の親に会いたいとは思わないオレだが、親友の墓参りはいってやらんとな、と思う。忘れないようにすることが生きることを辞めてしまった親友への手向けかな、とも思うし。
 色々悩みがあっただろう(知人に聞いた話では進学先で軽い無視にあっていたらしい)親友の気持ちを判ってやれなかった自分へのふがいなさはあるけど、毎年Aの祖母に書いてる年賀状で堪忍してやって欲しい。

 今でも、アニメ(当時はロードス島戦記が流行っていた)の話を嬉しそうに語るAの姿は目から離れない。
 高校を卒業して、オレは社会人になり、Aは国立大学へ進学。あの時、もう少しAの悩みを聞いてやれるチャンスがあればまた結果は違っていたのかも、とか・・・まだ心の割り切りがつかない(==;)

 ま、付き合いのレベルが違ったしな。物心ついたときから傍らにいて、何をするのも一緒だったんだから、そんなに簡単に割り切れるもんでも無い。
 とは言っても、こうやって日記に書けること自体、少しづつ思い出に変えれてるのか。以前なら無理だっただろうし。
 まさかマンガに教えられることがあろうとは(^^;)

 今日の表題どおり、いつか、この出来事も幸せな日向の記憶に変わってくれるんだろうか。

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